「大谷すごいな、来年いくらもらうのかな?」親父が亡くなる一週間前の言葉です。
もう少し頑張れば、オールスターでの大谷の活躍や東京オリンピックも観れただろうにと思うと、それも残念に感じます。
昨年の9月に肝細胞ガンであることが発覚し、限りなく肝不全に近い肝硬変から、手術ができませんでした。本人の希望で自宅療養を選択し、治る当てもない闘病生活を送ってきましたが、令和3年6月29日20時に永眠いたしました。その間お世話になりました、安藤クリニックの安藤先生をはじめ、献身的な介護を施していただいた福祉の里の皆様方のお力添えに感謝申しあげます。
また、コロナ禍であり、家族葬という形式を取らさせていただきました。父が生前にお世話になった皆様方に、感謝の言葉をお伝えすることのない非礼に加え、ご心配とご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
親父に「こうしなさい」、「ああしなさい」と言われたことは、今まで一度もありませんでした。私のやりたいことをやらさせてくれた親父には、「感謝」以外の言葉は見つかりません。親父の期待に応えられる男になるよう努力することが、最大の供養だと思っています。きっと生前と同じように、静かに天国から見守ってくれることと信じています。
初七日から大急ぎで四十九日の法要を済ませました。ここまで駆け足でしたので、初盆はゆっくりとこちらの世界で過ごしてくれることを切に願っています。 合掌